ソ連末期に「41分割」案 アンドロポフ氏倒れ実現せず 元側近証言について

崩壊前は弱り目に祟り目。崩壊まで突き進むしかなかったソ連の実情を象徴するような出来事ですね。明治維新の「陽だまりの木」を彷彿とさせます。

ソ連末期に「41分割」案 アンドロポフ氏倒れ実現せず 元側近証言

 【モスクワ=内藤泰朗】ソ連時代の末期に、多民族国家の同国を民族によらない41州の行政区に分割する案が考案されたものの、主導したアンドロポフ書記長(当時)が病で倒れ、実現しなかったことが、同書記長の補佐官を務め9日に死亡したウォリスキー前ロシア産業企業家同盟会長の生前インタビューで明らかになった。ロシアの日刊紙コメルサントが報じた。

 それによると、ブレジネフ書記長の死後、指導者となったアンドロポフ氏は、民族別に区分けされたソ連の行政区を消滅させるという切望があった。民族対立や差別は当時からあったが、民族問題を解決するため、ウォリスキー氏に新行政区を考案するよう命じた。

 同氏は、15の案を提出したが、書記長はいずれも気に入らず、友人である科学者のベリホフ氏(現ロシア・クルチャトフ研究所所長)と2人で地図をにらみながら作業を行い、41州に分割する案ができた。しかし、完成とほぼ時を同じく、書記長が倒れ、同案は最後まで完成しなかった。

 ウォリスキー氏は、もし、同案がソ連共産党中央委員会にかけられていたら、ソ連崩壊後独立した各共和国の指導者たちも賛同し、その数年後突如起きた悲劇的なソ連の崩壊には至らなかったかもしれないと語った。

 同氏はまた、アンドロポフ書記長が後継者に実はゴルバチョフ氏を指名していたが、同書記長の死後、チェルネンコ氏が引き継ぐことになったソ連末期の政界のエピソードも披露した。

 ウォリスキー氏は、ブレジネフからゴルバチョフに至る4代にわたるソ連の歴代書記長に仕えた政界の重鎮。1991年12月のソ連崩壊後は、経済界の束ね役となり、知日派であることから日露賢人会議のメンバーにもなっていたが、病に伏し9日に74歳で死亡、12日に葬儀が営まれた。
(産経新聞) - 9月19日16時58分更新

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